感染症兵器

1958年にペリー艦隊が来航したとき、ミシシッピ号に乗船していた船員の一人がコレラに感染しており、長崎に寄港したときにコレラが発生し、江戸にも飛び火して3年間にわたり流行した。死者は3万人とも26万人ともいわれる。
1911年のコレラ流行では死者は37万人を超え、日清・日露対戦の死者を上回った。

2004年にロシアのシベリアにある旧ソ連生物兵器研究所で女性研究者が誤って、エボラ出血熱ウイルスの入った注射器を指に刺し死亡した。
ロシアがエボラ出血熱生物兵器として研究していたことが明らかになった。

2014年には日本でデング熱が東京の代々木公園を中心して流行した。海外に行っていない人も発症したことから、デング熱に感染した人が代々木公園で蚊に刺され、その蚊が他の人を刺して流行が広まったと考えられている。

メキシコのアステカ帝国はスペインのコルティスによって滅ぼされたことになっているが、アステカ軍は天然痘に感染し戦闘不能になっていた。16世紀初頭にアステカの人口は2500万人であったが、1550年には600万人となり、1600年には100万人になった。人口減少は天然痘や麻疹の感染によるものであった。

18世紀のカナダでは先住民を駆逐するため、麻疹患者の着た衣服を先住民に与えた。麻疹の免疫を持たない先住民は部族ごと絶滅した。
(以上、感染症の世界史から)

 

中東などでは自爆テロによる被害が発生しているが、殺傷能力はせいぜい100人レベルである。
ミシシッピ号の事案では、結果的に1人で数十万人を殺したことになるので、極めて効率が良い。
いずれ、感染症患者に仕立てたテロリストを相手国に送り込むといった手口が実現するのではないか。