朝鮮の公娼制

朴貞愛の博士論文(性欲の研究から)

朝鮮半島では朝鮮時代まで、売春を公に認める制度はなかった。

朝鮮には公私奴婢制があり、そうした中で、花娘(ファラン)、遊女(ユニョ)などと呼ばれる売春婦は存在した。1894年の甲午改革で、この制度は廃止され、このとき解雇された妓生は3000人あまりであった。

性売買管理の法令が布かれたのは日本が朝鮮を保護国にしてからである。

1905年 日本が朝鮮を保護国

1906年 警務庁(日本の警視庁に相当)が朝鮮売春婦の性病検査。139名中49名が罹患

1908年 「娼妓取締令」公布。妓生、娼妓を認可制に

1910年 朝鮮併合

1916年 「貸座敷娼妓取締規則」公布。衛生管理、性病の蔓延を防ぐための集娼政策、15歳以下は娼妓になれないとする年齢制限など、売春を公に管理した。

1920年代 ソウルのランドマーク「南山(ナムサン)」はソウル第一の花街であった。日本から多くの芸娼妓が日本から渡った。1936年時点で日本人芸妓が2271名、朝鮮人芸妓が4712名、日本人娼妓が1921名、朝鮮人娼妓が1653名、カフェーの女給は日本人2661名、朝鮮人1399名がいた。

 

日本が植民地とした都市において、象徴的なシンボルは「軍隊」「神社」「遊郭」であると言われているそうだ(橋谷弘「帝国日本と殖民地都市」)